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2007年 01月 24日
10月7日朝、コトルのホテルを出て山ひとつ越えたティヴァト空港から旅の出発地ベオグラードに戻ります。飛行時間は羽...
旧都ツェティニェからスヴェティ・ステファンを遠望し、ブドヴァ市街を横目に見ながらコトルに戻った夜、旧市街の海洋博...
モンテネグロの現在の首都はポドゴリツァですが、かつてモンテネグロ王国のころはロブチェン山東麓のツェティニェが中心...
2007年 01月 22日
さて、湾の奥深くにたたずむコトルの町に到着したのは10月5日の木曜日、小雨がぽつりぽつりと落ちる午後も遅い時刻。...
ツァブタットから小1時間もかからずにモンテネグロ国境を越えると、すぐにヘルツェグ・ノヴィの町。この町にノーベル賞...
2007年 01月 20日
さていよいよドブロヴニクをはなれてモンテネグロに向かいますが、その前にクロアチアで最後の訪問地、ツァブタットで一...
2007年 01月 19日
クロアチアのダルマチア海岸一帯は19世紀初頭のごく一時期、皇帝ナポレオンのフランス支配下にあって、ドブロヴニクも...
2007年 01月 09日
わたくしたちがベオグラードを出発してビシェグラード、サラエヴォ、モスタルと回ってきた大型バスのナンバープレートは...
2007年 01月 06日
トレビニェに到着したのは午後も遅く、もう日差しも傾きはじめるころでありました。小さな町をしばらく散策、マロニエの...
モスタルをあとにしてトレビニェに向かいます。 昨年は路線バスでネレトヴァ川沿いに下っていったんクロアチアに入...
2006年 12月 31日
せわしなく仕事をしていたわけでもなく、遊びほうけていたわけでもないのですが、なんだかあっという間に年末、なんとき...
2006年 12月 20日
ちょうど1年振りのサラエヴォでした。 昨年と比べてなんとなく観光客の姿が少ないようにも感じられましたが、今回...
2006年 12月 19日
アンドリッチがヴィシェグラードの親戚の家で小学校を終え、ギムナジウムで学ぶために、サラエヴォで働く母親のもとにや...
2006年 12月 16日
ビシェグラードから次の目的地サラエヴォに向かいます。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都。映画監督エミール・クストリ...
2006年 12月 11日
釣り人というのはたいてい万国共通で、似たような雰囲気をもっているものです。ボスニアのドリナ川の橋のたもとで、いま...
2006年 12月 07日
ルートE761は国境を越えてボスニアに入るとドリナ川の支流ルザヴ川沿いに下っていきます。このルザブ川がドリナ川に...
2006年 11月 29日
ベオグラードからヴィシェグラードへのバスは前にも書いたとおり、西モラヴァ川から分かれるディティニァ川沿いに高度を...
2006年 11月 17日
ハンガリーにも同じ名前の町があって、あるいはそちらのほうが名前が通っているかも知れません。ベオグラードからヴィシ...
2006年 11月 14日
アンドリッチ記念館をあとにして、ノーボ・グロブリェ(新墓地)にある墓を訪ねます。こぢんまりとした正教会のお堂のそ...
2006年 11月 13日
連日のように富士山の写真をアップしているので、いささか食傷気味ではないかと懸念しています。バルカンの旅を続けまし...
日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。
見慣れないナンバープレート ふだんから前をいく車の...
TOMODACHI LANES 国道16号を横田基地沿...
ぶらり散歩、米軍横田基地東ゲート内の.. 昨日のこと、午後の...
旅客機の行方 承前 西多摩上空をいく飛行機...
コスモスの詩人 昨日、コスモスにつ...
アルプ 0号 串田孫一さんが亡くなっ...
ヤマセミ(山翡翠)飛ぶ溪で 続続々(.. ヤマセミの巣穴の前には...
2007楽器フェア この人の背丈ほどの巨大...
米軍輸送機 C-130 きょうに限ったことでは...