稲荷山古墳の鉄剣

 記憶が前後していたりあやふやなところも多々あるが、当時となりのとなりの市に住んでいたまだ中学生だったわたくしは、稲荷山という古墳から昔の鉄の剣が何本も発掘されたというニュースに興奮した覚えがあります。関東地方の地図を開いて、その緑色の平野部のほぼ真ん中あたり、田んぼと畑しかない田舎に、本や教科書でしか見たことのない古墳というものがあって、しかもそこから千数百年前のたくさんの副葬品が出土したというのは、いまだってさほど成長しているとはいえませんが、歴史や風土というもののパースペクティヴをさほど経験も理解もしていない中学生にとって、途方もない出来事であったでしょう。わたくしにとってはベトナム戦争もケネディー暗殺もプラハの春も遠い世界の出来事でしたが、いわばご近所でのニュースには特別な関心がわいてきたのでした。なにかのついでに家人にせがんで、車でその稲荷山古墳に連れて行ってもらったのでした。さほど高くない古墳の頂上に、丸石が敷き詰められた小舟ほどの遺構が露天にさらされていたような記憶があります。
 それから10年後、考古学会における世紀の発見という大ニュースが日本中を飛び交いました。発掘した鉄剣の保存修理のためX線調査をおこなったところ、そのうちの1本の鉄剣の錆び付いた両面から金象眼の銘文が浮かび上がったのでした。掘り出したまま10年もほうっておいた怠慢さはまあ横において、471年あるいは531年と推定される辛亥という年号と、雄略天皇とされる獲加多支鹵大王の名が銘文中にあることから、古代史の確実な証拠になるものとしてじつに貴重な発掘品となってすぐに重文、さほど間も置かずに国宝に指定されたのであります。
 稲荷山古墳にはその後何度か寄ることがありましたが、周辺のいくつもの古墳をあわせてさきたま古墳群として徐々に整備され、いまはきれいな公園として生まれ変わっています。銘文発見のころにはもう故郷をはなれて東京で生活していたこともあって、以来、肝心の鉄剣を見る機会はないままでした。いつごろから一般公開されるようになったのか、それも知らなかったのですが、つい先日、所用で近くまで出かけたおり、約束の時刻まで時間が空いたので、古墳群のなかにある県立さきたま史跡の博物館に立ち寄り、初めてこの鉄剣に対面したのでありました。
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 窒素ガスが充填されたガラスケースに厳重に守られて展示されています。写真は表側で、115文字のうち57文字が刻まれています。タガネで文字を刻み金線を嵌め込むという、大陸伝来の当時の最先端技工が駆使されているようであります。最近の調査では、嵌め込まれた文字部分の材質は、7割が金7銀3、残りの3割が金9銀1の合金で、ごく部分的に24金も使われているとのことであります。
 Google Earth から古墳群ぜんたいをみるとこんな具合。赤で囲んだところが稲荷山古墳であります。地元では「埼玉古墳群—古代東アジア古墳文化の終着点— 」として世界遺産登録をめざして昨年から活動を始めたようです。世界遺産そのものには賛否もありますが、ここは素直に、時間はかかるでしょうがうまく登録指定され、故郷の貴重な風土、文物を世界中に誇れるようになればいいと願うものであります。みんなで応援しよう!
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Commented by ふーやん at 2008-08-01 13:55 x
稲荷山古墳のこの鉄剣は以前からぜひ観たいとは思っていたのですが、今度いなり寿司を弁当に持っていって観ることにしましょう。
Commented by fuefukin at 2008-08-01 14:04
ご案内しますよ。
by fuefukin | 2008-07-31 12:09 | 歴史・文化 | Comments(2)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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