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山の神

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 先の週末の前後に訪れていた山の小屋から西沢渓谷に新緑を愛でに出かけました。その周回ハイキング道、昭和30年代に活躍していたトロッコ道のかたわらにまつられている山の神であります。おそらくトロッコが開通した昭和8年頃に、鉱石採掘や木材伐採の無事を祈願して、旧三富村にある大嶽山那賀都神社から分祠されたものと思われます。
 大嶽山那賀都神社の由緒は日本武尊の東征の時代にまでさかのぼり、甲武信ヶ岳の国境を越えるおりに現在の奥宮のある国師岳天狗尾根に佩剣を祀ったことに始まり、養老元年(717年)役行者によって現在地に修験道場として開山されたというじつに古い由来の神社であります。主神は木花咲耶姫の父である大山祇神、日本全国の山を管理監督する総責任者の神様でありますね。
 大山祇神を祀る神社は全国に1万社もあるといわれていますが、その総元締は瀬戸内海の大三島にある大山祇神社。古代から中世、戦国時代あたりまで、紀伊半島から瀬戸内海、北九州の海を制覇していた水上水軍や九鬼水軍をはじめ海沿いの各国の海事の守り神としてあがめられ、宝物館にはそれら水軍の領袖や諸大名家から寄進された国宝重文級の刀や槍、鎧兜がごろごろしています。なかには弁慶が使っていた薙刀、欠けた傷のある義経の刀、静御前が召された鎧なども展示され、思わず本当かしらと眉につばつけて見なければならないものまでありますが、伝であっても信ずれば真実になりますからとやかくいうことではありませんね。
 4年ほど前に亡くなられましたが、『海狼伝』という村上水軍の若大将を主人公にした小説で直木賞を受賞した白石一郎さんと、この大山祇神社はじめ周辺各地をご一緒したことがありました。自作の舞台を歩くというある雑誌の企画で、大阪での後援会のあと福岡へお帰りになる途中で合流したのですが、受賞後の超多忙から束の間解放されてのんびりできたよと、夕食のすしをつまみながらおっしゃっておられたのが印象に残っています。そのころすでに司馬遼太郎さんと同様の銀髪で、連作時代小説の主人公の名前、十時半睡(とときはんすい)というのはじつは自分のことなんだよと、秘密を打ち明けるかのようにささやかれたのも記憶に残っています。その話というのはつまりこういうことであります。
 だいたいにおいて物書きというのは夜型で、仕事は深夜に及ぶ。出版社の編集者がそろりと出社して作家に打ち合わせや原稿の催促の電話をしてくる朝の十時ころは、まだたいがい睡眠中か目覚め近い時間だから、半分眠っているような状態。そこから主人公の名前をつけたんだよと、いまは作家として活躍中の息子さんが当時大手出版社の編集者だったことも手伝ったのでありましょう、そんなネーミングの裏話も披露してくれたのでした。四方を海に囲まれているのに、西洋にはある本格的な海洋小説というものが日本にほとんどないことから、海を作品のテーマの一つに選んだという白石さんと波止場でひととき釣りをしました。白石さんとわたくしの竿に1尾づつ、ちいさなメバルがかかってくれました。出版社から上京の誘いがあったにもかかわらず、あえて不利な福岡に居を据え小説を書き続けた作家の気概が言葉の端々から伝わってきた思い出多い旅でありました。
 さて大山祇神の話からずれてしまいました。旧三富村の大嶽山那賀都神社は山道を30分ほど歩かなければなりませんが、沢沿いにのんびり登っていくと、こんな山中にと思われるほど立派な山門が眼前にあらわれます。山門には天狗が2体、両脇を守っています。お寺なら金剛力士像ですね。
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 この写真は2年前に撮影したものですが、前年くらいに屋根葺きなどの修理がおこなわれた模様で、工事代金を寄進した人と金額が張り出されています。過半の方が1万円の寄付ですが、100万円、102万円、110万円という方もおられたようです。おどろいたのは400万円の寄進をされた奇特な方です。お名前を出すことをせずに、「匿名」とだけしるされています。隠し金か税金対策かなどという皮相な見方はこの際しないでおきましょうね。
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by fuefukin | 2008-04-30 09:51

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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