国境を越えるはなし
2006年 09月 20日
ちょうど一年前の今日、クロアチアの首都ザグレブからスロヴェニアの首都リュブリャナへ汽車で移動したときのパスポートのページ。 中央の横長角丸の印がそれです。右上の汽車のマークが鉄道で入国、DOVOBA というのは国境の地名でしょうか。真ん中に赤字で、昨年の今日の日付けが入っています。左下のマークが入国のもの。ちなみに出国の時はもう少し大きい白い矢印でした。
クロアチアのドブロヴニクからコルチュラ、スプリットと巡り、海岸線はきれいなことはきれいで、それなりに面白くもあったのですが、わたくしはやはり山のほうが好みであります。どうしても山の方へ行きたくなり、スプリットからザクレブへ飛行機を奮発し、ザグレブから汽車でリュブリャナ、そこからバスで「アルプスの瞳」と呼ばれているブレッド湖へ向かったのであります。
あいにくお天気はダメで、曇りからとうとう降り出して、ブレッド湖畔に滞在中はずっと雨でありました。雲の切れ間から一瞬わずかに雪をつけた山が見えましたが、それがなんという山なのか特定などできません。それでも歩いて湖畔を一周し、釣り竿を出して毛針でパーチを釣ったりしました。さらに奥のボヒン湖にも行きたかったのですが、この天気であきらめました。
それにしても国境を越えるというのは結構緊張するものですね。
ヨーロッパがEUとなって、空港で入国するのも、陸路でかつて国境だったところを通過するのにも、パスポートを見せるだけで簡単に通り抜けられたり、場所によってはフリーパスのところもあったりして自由になったのとは逆に、クロアチアやスロヴェニアが属していた旧ユーゴスラヴィアでは、上述のように新たにパスポートコントロールが行なわれるようになったのです。もちろんそれぞれ独立国になったのですから当たり前といえばその通りですが、地域によるこうした差は歴史や政治、さらには人種、宗教、経済問題まで考えさせられるのであります。
ちなみにこれまで一番緊張した国境越えはどこかというと、ふたつありますね。アルメニアから陸路バスでグルジアに抜けたとき、そしてそのグルジアから夜行の汽車でアゼルバイジャンに入ったときであります。国境係官にパスポートを預けたまま2時間も3時間も待たされると、不安が募ってきます。そんなとき耳許にささやくように、「お前のその時計はいいなあ」とか「ドルは持っていないか」などと聞かされると、思わずそれで済むのならあげてもいいかなどと思ってしまうこともしばしばでありますが、このときはきっぱりと大声を出して断りました。大声を出すと、彼らも人の子、多少気後れするようであります。それでも周囲に何人か人がいたからできたことであります。
あるときモスクワの空港で出国時、税関吏に荷物を全部開けるようにいわれ、荷物をひとわたり見たその役人はたどたどしい英語で I want films と小声でいうのであります。You want films? とやや大きい声で聞き返すと、そわそわと回りを見回すのですね。こうなるとこちらにも余裕ができます。未使用だが箱からは出してあるポジフィルムを1本、彼の手に渡し、オーケーだねという仕草とともにスーツケースに荷物を詰め、すばやくその場をあとにします。もちろん彼は黙って見送るだけです。わたくしは彼が上着の右ポケットにフィルムをそっと滑り込ませるのを見ているのですから。
しかしそれにしてもわたくしのこうした行いが、継続的に次の旅行者に同様の行いをさせる呼び水になったのではないかという心配もしくは恐れがなくはないのでありますが、すでに彼および彼らはいろいろな意味で前科があるでしょうから、わたくしの心配するにあたらないのではないかとも思うのであります。どうでしょう?
クロアチアのドブロヴニクからコルチュラ、スプリットと巡り、海岸線はきれいなことはきれいで、それなりに面白くもあったのですが、わたくしはやはり山のほうが好みであります。どうしても山の方へ行きたくなり、スプリットからザクレブへ飛行機を奮発し、ザグレブから汽車でリュブリャナ、そこからバスで「アルプスの瞳」と呼ばれているブレッド湖へ向かったのであります。
あいにくお天気はダメで、曇りからとうとう降り出して、ブレッド湖畔に滞在中はずっと雨でありました。雲の切れ間から一瞬わずかに雪をつけた山が見えましたが、それがなんという山なのか特定などできません。それでも歩いて湖畔を一周し、釣り竿を出して毛針でパーチを釣ったりしました。さらに奥のボヒン湖にも行きたかったのですが、この天気であきらめました。
それにしても国境を越えるというのは結構緊張するものですね。
ヨーロッパがEUとなって、空港で入国するのも、陸路でかつて国境だったところを通過するのにも、パスポートを見せるだけで簡単に通り抜けられたり、場所によってはフリーパスのところもあったりして自由になったのとは逆に、クロアチアやスロヴェニアが属していた旧ユーゴスラヴィアでは、上述のように新たにパスポートコントロールが行なわれるようになったのです。もちろんそれぞれ独立国になったのですから当たり前といえばその通りですが、地域によるこうした差は歴史や政治、さらには人種、宗教、経済問題まで考えさせられるのであります。
ちなみにこれまで一番緊張した国境越えはどこかというと、ふたつありますね。アルメニアから陸路バスでグルジアに抜けたとき、そしてそのグルジアから夜行の汽車でアゼルバイジャンに入ったときであります。国境係官にパスポートを預けたまま2時間も3時間も待たされると、不安が募ってきます。そんなとき耳許にささやくように、「お前のその時計はいいなあ」とか「ドルは持っていないか」などと聞かされると、思わずそれで済むのならあげてもいいかなどと思ってしまうこともしばしばでありますが、このときはきっぱりと大声を出して断りました。大声を出すと、彼らも人の子、多少気後れするようであります。それでも周囲に何人か人がいたからできたことであります。
あるときモスクワの空港で出国時、税関吏に荷物を全部開けるようにいわれ、荷物をひとわたり見たその役人はたどたどしい英語で I want films と小声でいうのであります。You want films? とやや大きい声で聞き返すと、そわそわと回りを見回すのですね。こうなるとこちらにも余裕ができます。未使用だが箱からは出してあるポジフィルムを1本、彼の手に渡し、オーケーだねという仕草とともにスーツケースに荷物を詰め、すばやくその場をあとにします。もちろん彼は黙って見送るだけです。わたくしは彼が上着の右ポケットにフィルムをそっと滑り込ませるのを見ているのですから。
しかしそれにしてもわたくしのこうした行いが、継続的に次の旅行者に同様の行いをさせる呼び水になったのではないかという心配もしくは恐れがなくはないのでありますが、すでに彼および彼らはいろいろな意味で前科があるでしょうから、わたくしの心配するにあたらないのではないかとも思うのであります。どうでしょう?
by fuefukin
| 2006-09-20 10:53