丘の上の小船
2006年 05月 24日
ヘミングウェイがハバナ郊外のサンフランシスコ・デ・パウラの丘の上に立つ敷地15万エーカー(日本風にいうと1万八千坪)の農場ラ・ビフィア邸を『誰がために鐘は鳴る』で手にした印税で買ったのは1941年、昭和16年のことでありました。
三人目の妻マーサとともに中国・アジアを取材旅行後、この邸に移住したヘミングウェイはフィンカ・ビフィア(見張り農場)と名付けて、ここからコヒマル漁港に繋留してある釣船ピラ−ル号で釣りに出かけたり、ハバナ市内へダイキリやモヒートを飲みに出かけていたのであります。
ヘミングウェイがパリの修行時代をへてフロリダ州キーウエストに自宅を構えたのは1928年のことで、はじめてキューバを訪れたのもこの年でした。キーウエストでトロ−リング用パワーボート、ピラール号を建造したのはその6年後、アフリカを中心に狩猟にあけくれたあと、一転して海に挑戦するためでありました。
支援していた共和国政府軍が敗北しフランコ軍事政権成立というかたちでスペイン市民戦争が終結するとともに、ヘミングウェイはかねてから魅せられていたキューバに移り、ハバナ市内のホテル、アンボス・ムンドス511号室を根城に『誰がために鐘は鳴る』の執筆を開始したのであります。この年に第二次世界大戦が勃発したのも手伝ったのか、スペイン市民戦争の自己犠牲の精神を数日間の戦闘場面に凝縮して描き出したこの本は半年で50万部を売る大ベストセラーとなり、上述のように広大な農園を買えるほどの印税を作家にもたらしたのであります。
フィンカ・ビフィアは現在、博物館となっていて公開されています。訪れたときはちょうど改装中で内部の見学はかなわなかったのですが、裏手のプールの先にピラール号が展示されています。ヨットなどとされていることもあるピラ−ル号でありますが、わたくしの見る限り、エンジン付きのフィッシング用ボートですね。トローリング用の釣り座が中央にしつらえられていて、寝泊まりできるキャビンもあります。上部には見張り台もついています。おもちゃのような小さなスクリューしかついておらず、この船で実際に210キロを超えるブルーマリーンを釣ったのかと思うと、ちょっと感慨深いものがありますね。釣り座のすぐ後ろで『老人と海』のモデルとなったフエンテス船長が舵を握っているのが想像できます。フエンテス船長はつい先頃まで存命で、100歳を越えて亡くなったというニュースが流れたのはつい一昨年ごろのことでありました。
ヘミングウェイはキューバ革命の折に混乱から脱出するようなかたちでキューバを出て以来、ここフィンカ・ビフィアに帰ることはありませんでした。

1961年7月アイダホ州ケチャムの自宅で、猟銃の手入れ中の暴発による事故死とされているようでありますが、実際には銃口を口にくわえての自裁とされているようであります。遺言によってフィンカ・ビフィアはキューバ政府に寄贈され、以来、国有財産として博物館が運営されているとのことであります。
死の翌年、若きパリ時代を回想した遺作『移動祝祭日』が出版されました。そのパリ時代の1921年から25年まで住んでいたカルディナル・ルモワンヌ74番地のアパルトマンというのがこの写真です(中央の白い建物、赤いシェードがはり出している1階はレストラン)。
とある冬、早朝から散歩に出かけた街角で偶然見つけました。小さく入口に掲げられている標識というか案内板がなければ、気付かずに通り過ぎてしまいそうなパリのどこにでもある建物です。このアパルトマンには「秋の日のヴィオロンのひたぶるにうら悲し…」の詩人ヴェルレーヌも住んだことがあり、1989年1月8日にこの家で死んでいったそうであります。
ついでに、このパリ時代に生まれたヘミングウェイの長男ジャックはのちにダートマス大学在学中のフィンカ・ビフィアにおける父のもとでの夏休みを『青春は川の中に』(TBSブリタニカ)という本のなかで実に楽し気に書いています。そこでのピラール号についての記述からちょっと引用してみましょう。
「望楼園(フィンカ・ビフィア)での最後の数日になって初めて、父はピラ−ル号を釣船兼海洋調査船に偽装してQボート、つまり囮船に仕立て、近々作戦をやることを打ち明けた。アメリカ大使のスプルイル・ブレイデンがこの計画を熱心に支持してくれ、その結果、武器、通信機材のような物資補給から、実戦経験のある優秀な通信兵まで割り当ててもらうことになったとのことで、乗組員はウィンストン・ゲストと亡命バスク人たち」
実際ヘミングウェイはピラ−ル号をアメリカ海軍に提供し、自身キューバ沖に侵攻してくるドイツの潜水艦Uボートの哨戒任務に従事したこともあったそうです。このおかげかどうか、戦後になって、戦時法動員としての活躍に対して「ブロンズ・スター」勲章を授与されております。
ヘミングウェイにとってはあるいは後に貰うことになるノーベル賞よりも誇らしい栄誉だったかも知れません。
三人目の妻マーサとともに中国・アジアを取材旅行後、この邸に移住したヘミングウェイはフィンカ・ビフィア(見張り農場)と名付けて、ここからコヒマル漁港に繋留してある釣船ピラ−ル号で釣りに出かけたり、ハバナ市内へダイキリやモヒートを飲みに出かけていたのであります。
ヘミングウェイがパリの修行時代をへてフロリダ州キーウエストに自宅を構えたのは1928年のことで、はじめてキューバを訪れたのもこの年でした。キーウエストでトロ−リング用パワーボート、ピラール号を建造したのはその6年後、アフリカを中心に狩猟にあけくれたあと、一転して海に挑戦するためでありました。
支援していた共和国政府軍が敗北しフランコ軍事政権成立というかたちでスペイン市民戦争が終結するとともに、ヘミングウェイはかねてから魅せられていたキューバに移り、ハバナ市内のホテル、アンボス・ムンドス511号室を根城に『誰がために鐘は鳴る』の執筆を開始したのであります。この年に第二次世界大戦が勃発したのも手伝ったのか、スペイン市民戦争の自己犠牲の精神を数日間の戦闘場面に凝縮して描き出したこの本は半年で50万部を売る大ベストセラーとなり、上述のように広大な農園を買えるほどの印税を作家にもたらしたのであります。
フィンカ・ビフィアは現在、博物館となっていて公開されています。訪れたときはちょうど改装中で内部の見学はかなわなかったのですが、裏手のプールの先にピラール号が展示されています。ヨットなどとされていることもあるピラ−ル号でありますが、わたくしの見る限り、エンジン付きのフィッシング用ボートですね。トローリング用の釣り座が中央にしつらえられていて、寝泊まりできるキャビンもあります。上部には見張り台もついています。おもちゃのような小さなスクリューしかついておらず、この船で実際に210キロを超えるブルーマリーンを釣ったのかと思うと、ちょっと感慨深いものがありますね。釣り座のすぐ後ろで『老人と海』のモデルとなったフエンテス船長が舵を握っているのが想像できます。フエンテス船長はつい先頃まで存命で、100歳を越えて亡くなったというニュースが流れたのはつい一昨年ごろのことでありました。
ヘミングウェイはキューバ革命の折に混乱から脱出するようなかたちでキューバを出て以来、ここフィンカ・ビフィアに帰ることはありませんでした。


死の翌年、若きパリ時代を回想した遺作『移動祝祭日』が出版されました。そのパリ時代の1921年から25年まで住んでいたカルディナル・ルモワンヌ74番地のアパルトマンというのがこの写真です(中央の白い建物、赤いシェードがはり出している1階はレストラン)。

ついでに、このパリ時代に生まれたヘミングウェイの長男ジャックはのちにダートマス大学在学中のフィンカ・ビフィアにおける父のもとでの夏休みを『青春は川の中に』(TBSブリタニカ)という本のなかで実に楽し気に書いています。そこでのピラール号についての記述からちょっと引用してみましょう。
「望楼園(フィンカ・ビフィア)での最後の数日になって初めて、父はピラ−ル号を釣船兼海洋調査船に偽装してQボート、つまり囮船に仕立て、近々作戦をやることを打ち明けた。アメリカ大使のスプルイル・ブレイデンがこの計画を熱心に支持してくれ、その結果、武器、通信機材のような物資補給から、実戦経験のある優秀な通信兵まで割り当ててもらうことになったとのことで、乗組員はウィンストン・ゲストと亡命バスク人たち」
実際ヘミングウェイはピラ−ル号をアメリカ海軍に提供し、自身キューバ沖に侵攻してくるドイツの潜水艦Uボートの哨戒任務に従事したこともあったそうです。このおかげかどうか、戦後になって、戦時法動員としての活躍に対して「ブロンズ・スター」勲章を授与されております。
ヘミングウェイにとってはあるいは後に貰うことになるノーベル賞よりも誇らしい栄誉だったかも知れません。
初めまして ピラ-ル号で検索しましたら貴ブログを拝見し 当方のブログにリンクさせていただいたのですが....事後報告ですみません。
ご了承お願いします。また美しい写真に見入ってしまいました。
また私も最近 朝霧高原に小屋をリフォ-ムして遊んでいます。
お近くのご様子 機会がありましたら是非とも遊びにお出かけ下さい。
ハ-トランド牧場内です 失礼しました。
ご了承お願いします。また美しい写真に見入ってしまいました。
また私も最近 朝霧高原に小屋をリフォ-ムして遊んでいます。
お近くのご様子 機会がありましたら是非とも遊びにお出かけ下さい。
ハ-トランド牧場内です 失礼しました。
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ISO さん、ご参考になったのであればさいわいです。
朝霧高原は通り過ぎたことがあるだけですが、なかなかいいところのようですね。
朝霧高原は通り過ぎたことがあるだけですが、なかなかいいところのようですね。
by fuefukin
| 2006-05-24 13:33
| 旅の写真
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Comments(2)


