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バルカンへの旅——15、ドゥブロヴニク案内1

 ドゥブロヴニクはむかしイタリア語でラグーザと呼ばれた海洋貿易都市都市で、ローマの時代からヴェネチアとともにアドリア海の重要な海運を担っていた。15世紀から16世紀にかけてラグーザ王国として最盛期を迎えた後、オーストリア帝国、旧ユーゴスラビアを経て、1991年クロアチア独立とともに現在に至っている。
 クロアチアのアドリア海沿岸はダルマチアと呼ばれる一帯で、美しい海岸線を誇る。ところがドゥブロヴニクに至るまでの間に、幅7キロほどの海岸線がボスニア・ヘルツェゴビナ領として割り込んでいる。ボスニア・ヘルツェゴビナは内陸国かと思いきや、アドリア海に通じる港ネウムを持っているのだ。ドゥブロヴニクはクロアチア領の飛び地ということになる。モスタルからバスでドゥブロヴニクに向かったわたくしは、つまりボスニアからクロアチアに入り、さらにボスニアに入ったあと、ようやくクロアチアに入れたという複雑な経路になったのであります。これが、最初の国境でパスポートに出国スタンプを押してくれなかった理由なのかは今もって分かりません。いずれにせよこうなった詳しい歴史は、次のページで懇切に解説されていますので、興味のある方は飛んで行って見てください。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/euro/dubrovnik.html

 ボスニア内戦はここドゥブロヴニクにも及んだ。後背の山に陣取ったユーゴスラビア連邦軍は、中世からの美しく整えられた街並みにもロケット砲や迫撃弾を容赦なく注いだ。幸いにも現在までに、見た目には元通りに修復され、多くの観光客を呼んでいるが、人の心の中から戦争の記憶はそう簡単に消えるものではないだろう。
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 街のところどころにこんな看板が掲げられている。▲印は直撃で屋根が破壊されたところ、赤い■印は火災で燃えたところ、△印は榴散弾で破壊されたところ、●印は歩道に直撃したところ、と5カ国語で説明がしてある。
 そういえばどこか教会の内部の壁にも、ロケット砲で貫通した穴を見えるように透明のパネルで覆い、セルビア勢力の攻撃により空けられた穴だという説明書きが付され、年月日から時間まで入っていたような記憶がある。

 引き続きまた何枚か、スナップをご覧あれ。
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 また次回もドゥブロヴニクをご案内するつもりです。
by fuefukin | 2005-10-25 19:11 | バルカンへの旅(1)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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