2013年回顧 その15

 車山高層湿原に臨む無住の草原、標高1820メートルの地に、わずか10坪ばかりの山小屋を建てたのは1956年のことだった。ちょうど周辺の最高峰車山の肩にあたる風の通り道の場所だったので、コロボックル・ヒュッテと名付けた小さな小屋は伊勢湾台風で全壊の憂き目にも遭遇した。それでもたおやかな高原歩きを愛好する人たちに支えられて、星霜を経ること50余年を数えるようになった。
 山を生きる場所と定めて、24歳の夏、この地に山小屋を建てたのは地元信州松本生まれの手塚宗求さんだ。手塚さんは小屋を訪れる詩人や文学者、音楽家と深く交流をもって、やがて高原を舞台に珠玉の文章を紡ぎ出す術を学んだのだった。それらは雑誌に掲載され、本にまとめられた。わたくしもそれら山の本の読者のひとりだった。
 わたくしが雑誌の仕事で小屋を訪れたのは、すでに25年以上も前のことになるだろう。それをきっかけに手塚さんの本を世に送り出す側に立って、『高原の花物語』をはじめとして6冊のエッセイ集の編集を担わせてもらうことになった。以来、しばらく別な分野の仕事に没頭していて訪ねる間が空いて、訪ねよう訪ねようと思っているうち、一昨年9月に突然のように訃報が届いたのだった。亡くなった知らせをうけて数えてみれば、うかつにもすでに80歳を越える年齢だったことに初めてのように気づかされた。わたくしの気持ちの中では、山の人はいつまでも若々しく元気なままであったのだが、けしてそうではなかったのは人の世の常なのだった。
 一周忌までには山を訪ねようと思い、そして訪れるなら手塚さんが好きだったニッコウキスゲの花盛りに弔いを述べようと、7月中旬の開花期に出かけた。小屋にもうけられた遺影に、出かけられなかったお詫びをし、車山頂上から湿原を回った。時折届く手紙がしばらく来ないなと思っても、返信も電話ひとつしなかった悔いも風に乗せて届けようと思ったのだ。
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 7月の高原でウグイスが声高らかにさえずっていた。
 下の薪割りをする生前の手塚さんの写真は、コロボックルの公式ブログから二代目貴峰さんの了解を得て転載する。安らかにお眠りください。
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by fuefukin | 2013-12-30 18:32 | Comments(0)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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