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バルカンへの旅——9、モスタルの古橋

 サラエヴォを9時55分に出発したバスは、手許の高度計で標高835メートルの峠のトンネルを抜けたあと、コニツァという小さな宿場町のような街からネレトヴァ川沿いに下り、ほぼ定刻の12時20分、モスタルのバスターミナルに到着した。
 あらかじめガイドブックで調べておいたホテルに向かい、空き部屋の有無をたずねる。レセプションの若い男はカチャカチャとキーボードをたたいたあと、「オーケー、ハウメニナイツ?」と事務的にたずね返してくる。とりあえず1泊だけ頼み、パスポートを預けて、部屋に荷をほどいた。
 ホテルの名前は、Hotel Ero。
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 カタカナ書きにすると、なんとエロ・ホテル。もちろん日本語にしたエログロのエロなんかではない、だろう、と思う。ヨーロッパ=エウロパの頭あたりからとったのかなとも思われるが、ちょっとスペルが違ってくる。ギリシャ神話のエロス神あたりが正解だろうか。

 モスタルの街の中心をネレトヴァ川が流れている。そこにかかるのが Stari Most スターリ・モスト(古い橋)である。16世紀にオスマン‐トルコの架橋技術を結集して作られた美しい石造のアーチ橋、モスタルを訪れる人だれでもが渡る橋だが、ボスニア内戦の象徴的な橋ともなっていた。
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 というのは1992年3月、当時のユーゴスラヴィアからイスラム教徒主体のボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言したものの、東方正教のセルビア人勢力との争いが加わり、さらにカトリックのクロアチア人勢力との民族と宗教があい混じりあった三つどもえの戦争に発展してしまい、ここモスタルでもネレトヴァ川をはさんで激しい戦闘が繰り広げられた。そのあおりを受けて美しい歴史的建造物であった橋は、爆弾によって破壊され、中央部の大半がネレトヴァ川の底に沈んでしまったのである。
 すでに通過してきたサラエヴォも2年半にわたってセルビア人勢力に軍事包囲され、のちにスナイパー通りと名付けられた幅広の道路では、動くものはネズミ一匹といえどセルビア人狙撃手の的となった。通りを渡るおばあさんが狙撃され殺された映像はテレビでも繰り返し流され、内戦の悲惨を伝えていた。
 NATO による空爆などの国際的な介入によって内戦が終っておよそ10年がたつとはいうものの、サラエヴォからモスタルのバスの車中からも、弾痕のあとも生々しい民家の廃虚や、屋根の落ちたまま放置された建物がいくつも残っていた。
 しかしモスタルのこの橋も、ようやく昨年、ユネスコその他の資金援助によって修復が成り、上の写真のように生まれ変わり、「モスタル旧市街の古橋地区」として今年、世界遺産に登録された。
by fuefukin | 2005-10-11 19:31 | バルカンへの旅(1)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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