のらぼう菜のはなし
2013年 03月 26日
この神社の境内に、昭和52年に建てられたと刻されているので古いものではないが、野良坊菜之碑というのがある。祭殿に向かって右手奥にある。
そんなに長いものではないので碑の全文を読みやすいように転載しておこう。
ときは明和四年(1767)のことである。当時の幕府代官伊奈備前守(江川太郎左衛門かな)は地元名主代表、小中野四郎衛門と網代五兵衛に命じて、引田、横澤、館谷、高尾、留原、小和田、五日市、深澤、養澤、檜原の十二ケ村にのらぼう菜の種子を配布し、栽培法を伝授した。これがうまく繁殖して、秋に植付け春の食料不足となる端境期に新芽を賞味できることとなる。この菜が天明天保の大凶作に多くの住民が飢餓にさらされた際、人命の救助に役立ったと伝えられている。この事績を永く後世に伝えるためここに建碑するものである。
とまあこんな具合か。秋川の自然と文化を守る会、という地元有志が建てたものらしい。さてそののらぼう菜、現在も盛んに栽培されていて、じつにうまい菜っ葉でありますな。例年なら3月に入る頃から伸び出す新芽を掻き取りながらお浸しや和え物として食べるが、なんにしてもうまい。とくに太い軸が柔らかく甘味があって、葉っぱばかりをつまんでいたら、のらぼうは軸を食うもんだと叱られた。ところが畑地も狭い地元産ということで、流通にのせるほどの生産高もないので、スーパーマーケットのような販売店でもとめることができない。わたくしなどは時折通りかかる無人販売所などでたまに手に入れるだけである。
今年は2月が寒く、3月に入っても低温気味だったものの、しばらく前から急激に気温が上がり生育が旺盛になって出回り始めた。下の写真の一把で100円だからようやくお買い得になってきたかな。
埼玉県の旧都幾川村には、おそらく同じ幕府代官が地元農民にのらぼう菜の種とともに指南書(栽培法)を渡したとされ、その請書(受領証)が古文書として残っているらしい。現在では周辺の嵐山町、小川町、滑川町、東秩父村あたりでも栽培が行われているそうだ。さらに他の多摩地域でも栽培され始めているとのこと。いずれも五日市周辺と同様、山地との中間点という地勢は一致しているから、地域伝統野菜として今に至るまで栽培され続けてきた貴重な菜っ葉といえるだろう。
地元五日市では出盛りに合わせて、毎年3月最終日曜日に「のらぼう祭り」を催していて、今年は今週末の日曜日だ。場所は冒頭の小安神社。ここを参照されたし。