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コウゾ(楮)稔る

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 ご存知、ミツマタ(三叉)とともに和紙の材料になる木。
 ちょうどいま草薮のなかでこんな金平糖のような橙色の実が輝いている。
 口に放り込めばほんのり甘いが、金平糖のようなわけにはいかない。
 天然の甘味だが、花序の残滓があって舌触りはけしてよくない。
 食べるにはひとつふたつで充分だな。
 日本書紀には、推古天皇18年の610年、高句麗の僧曇徴が墨、絵具とともに紙の製法を日本に伝えたとある。コウゾはこれと時を同じくしてわが国にもたらされたのだろう。
 同じ年の中東、メッカ近郊のヒラー山で瞑想をしていたムハンマドの前に大天使ガブリエルがあらわれて、アッラーの啓示を読めと命じた。ここにイスラム教が興ったのでありました。
 製紙技術の渡来とイスラム教の成立。
 まあなんの共通もないが、そのころ中東にまで製紙技術は伝わっていなかったから、キリストの教えもムハンマドの教えも、羊皮紙に記されていたのだろう。
 中国(唐)から西へ製紙技術が伝わったのはわが国に伝来したのちの751年、いまのキルギスあたりでアッバース朝とのあいだに戦端がひらかれた折だった。将軍高仙芝率いる唐軍とズィヤード率いるアッバース朝軍は天山山脈西北麓のタラス河畔で衝突した。唐側についていた遊牧民の寝返りもあって、戦いはイスラムの勝利に終わったが、捕虜となった唐の兵士のなかに紙すき職人がいて、サマルカンドで製紙がおこなわれるようになった。サマルカンドは世界に類なき都市として、13世紀になってモンゴルによって徹底的に破壊されるまでソグド商人の都として栄えた。現在の市街北方にあるアフラシアブの丘に築かれていた当時のサマルカンド遺跡を訪ねたことがあったが、破壊のあとそのまま時が止まったかのように、累々とした土石の堆積の上を茫とした風が吹き抜けるだけだった。
 ハーバード大学のハンチントン先生は『文明の衝突』で冷戦後の紛争のラインを東西キリスト教の境界に引いて論考し、イスラム圏と東アジアとの関係についてはかなり冷淡だったように思うが、このタラス河畔の戦いこそ、洋の東西が史上初めて衝突した戦争であり、これを機に製紙技術が西側世界へもたらされた因縁の戦でもあったことを指摘しておきたい。
by fuefukin | 2012-07-13 10:42 | 稔り

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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