秋空にコスモス、ラグーザお玉、コロンブス
2011年 10月 12日
秋空にはやはりこのコスモスの花が似合いますねえ。
原産地はメキシコの高原地帯で、17、8世紀にマドリードの植物園に送られてコスモスと名付けられたという。その種子が広くヨーロッパに広まり、わが国には明治のなかばあたりに渡来した。もたらしたのは明治政府がイタリアから招聘したヴィンチェンツォ・ラグーザという、いわゆるお雇い外国人であった。
ラグーザは明治政府が工学系教育のために設立した工部大学校(東大工学部の前身)付属の工部美術学校で彫刻の教鞭をとったが、そこで江戸は芝新堀生まれで若い頃から日本画、西洋画を学んでいた清原多代と出合った。清原多代はラグーザの指導を受けるうち恋仲になり結婚、のちにラグーザお玉と呼ばれることになる。
長崎のシーボルトとお滝さんとの関係と異なり、こちらは正式な国際結婚のはしりもはしり、夫のイタリアへの帰国とともに郷里パレルモに同行し、あらためてパレルモ大学美術専攻科に入学したあとサルバトーレ・ロ・フォルテに師事し、夫ヴィンチェンツォがパレルモに工芸学校を開設するや、絵画科の教師まで務めた。画家としても、パレルモやモンレアーレ、シカゴなど各地の美術展や博覧会で受賞するなど、高い評価を得ている。わが国初の女流西洋画家と呼ばれる所以である。
夫の死後、1933年に51年ぶりに帰国したお玉は画業に集中していたが、6年後に亡くなった。初の回顧展「ラグーザ玉展」が開かれるのは、それからさらに40数年のちまで待たなければならなかった。
イタリア人ヴィンチェンツォ・ラグーザがコスモスの種子をわが国にもたらしてから130年以上、日本の秋の風景には欠かせない花となっているが、花の陰にこんな物語があったことも覚えておきたいものでありますね。
ついでにもうひとつ、きょう10月12日はコロンブス・デー。アメリカ合衆国における祝祭日のひとつで、1492年に、北アメリカ大陸にコロンブスが到着したことを祝う日とされて、多くの銀行などの公共施設が定休日となり、学校も休みとなるそうだが、なんだかなあという気持ちもある。というのはコロンブスがスペイン王の援助を受けて探検に出かけた目的のひとつは「奴隷確保」のためだった。サン・サルバドル島に到着して以降、先住民の虐殺につぐ虐殺を続けたのは周知のとおり。
2007年10月7日、スー族のラッセル・ミーンズは、コロラド州デンバーのコロンブス・デーに、デンバー市庁前で以下のようにスピーチをしたそうだ。
「コロンブス・デーを祝うことは、インディアンに対して過去に行われた圧迫と残忍な暴力による恐ろしい征服を許容することに他なりません。もちろん、マヤ族やアステカ族などのさまざまのインディアンの中には、恐ろしい人身御供と食人を行っていたとの批判もあるでしょう。シオニストは、大統領予備選挙や中学校などで共感を生むために、第二次世界大戦でのホロコーストがより重要であり、プロパガンダとして機能しなければならないと主張しますが、それはインディアンに対する大量殺戮が今まで人類史で見られた中で、最大のものであるという事実を汲んでいません。人種差別主義礼讃者の、そして、大量殺戮礼賛者による地獄のコロンブス・デーなぞ糞くらえ、それは“コンキスタドール・デー”に変わるべきです!」 (ウィキペディアより)
こんな側面があるということも覚えておきたい。コロンブスの北米大陸到達がなかったら、コスモスも日本の秋に咲いているかどうか、歴史の流れの交錯を考えずにはいられませんね。