凱旋門 Arch of Triumph

 いつごろからかシャルル・ド・ゴール広場 la place de Charles de Gaulle と呼称が変わっているが、ここから12本の通りが放射線状に延びて地図上で星 étoile のように見えるので、かつては「星の広場 la place de l'Etoile」と呼ばれていた。広場の中心にそびえ立つ門はそのため「エトワールの凱旋門 Arc de triomphe de l'Etoile」といわれていたが、パリ市内にいくつかある凱旋門の中でもひときわ壮大に星の中心に立って観光客も集まるので、たんに凱旋門といえばこの門のことを指すようになったようであります。
 この凱旋門が完成したのが1836年の今日(7月28日)のことでありました。アウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、2年前に皇帝の座について絶頂期のナポレオンの命によって建設が始まり、30年の期間を経てルイ・フィリップの復古王政時代に出来上がったというわけであります。この30年間に、ヨーロッパを席巻したナポレオンは敗戦となったロシア遠征(チャイコ大序曲1812年で有名ですね)をきっかけに下り坂を転げ落ちるように負け戦を重ねエルバ島に追放され、百日天下で復活を遂げるもののワーテルローの戦いで完敗、ついには南大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉され1821年、死を迎える。自ら命じて建設させた凱旋門をくぐることができたのは、遺骸が帰国を果たしたさらに20年後だったというのは、まさに歴史の皮肉でありますね。
 そんなわけで174年前の今日、凱旋門は完成したわけであります。そこで古い写真を探し出してご覧いただこうということに相成りました。

 まず凱旋門の上からながめるシャンゼリゼ通り L'Avenue des Champs-Élysées の夜景。
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 凱旋門のかたわらに設けられている第一次世界大戦の無名戦士の墓。
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 ところで第一次世界大戦が始まったのは96年前の昨日のことでありましたね。1914年オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに対して宣戦布告した日で、戦いは燎原の火のごとく広がって、人類史上初の世界戦争になったのはご存知の通り。直接のきっかけは宣戦布告に先立つ1ヶ月前、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がボスニアの首都サラエヴォでセルビア人民族主義者ガヴリロ・プリンツィプによって殺害されたことに端を発します。サラエヴォ事件と称されるこの暗殺事件の現場をわたくしは二度訪れましたが、左の建物に事件の説明が書かれているプレートがはめ込まれている以外、なんの変哲もないこんな街角であります。
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 正面の橋が事件後のある期間、プリンツィプ橋と英雄視された暗殺者の名前を冠して呼ばれ、その後以前の名称ラテンスキー橋に戻されたミリャツカ川を渡る橋。ボスニア生まれのノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチ( 1892 - 1975)は川沿いのサラエヴォの高校(ギムナジウム)時代、向かい岸のやや高台にある自宅からこの橋を毎日渡って通学していただろうと推測されますが、のちのサラエヴォ事件の際に、事件関係者と目されて当局に一時逮捕されたこともあったらしい。
by fuefukin | 2010-07-29 11:21 | 旅の写真 | Comments(0)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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