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ウルトラマリンノ底ノ方ヘ(2)

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 旧谷中村合同慰霊碑に向かって左手前、どうにも中途半端な位置に据えられている逸見猶吉の詩碑、ただしくは墓碑と呼ぶべきでしょうか。上半分に草野心平さんの書になる猶吉の詩「報告(ウルトラマリン第一)」から一節がとられて刻まれていますが、下部には「我等の父母並びに姉と兄此処に眠る」とあって、満州で死んだ猶吉夫婦と3人の子供の戒名と没年月日、末尾には建立者である遺族の氏名が読み取れるからであります。少々長いですが、抜粋された詩の全体を以下に紹介しておきましょう。

    報告(ウルトラマリン第一)

 ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時
 外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ
 ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ
 ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ
  〈血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル
   北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ——〉
 暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ舌ヲダシテ
 ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔々 ソレハ目ニ見エナイ狂気カラ転落スル 鴉ト時間ト アトハ
 サガレンノ青褪メタ肋骨ト ソノ時 オレハヒドク
 凶ヤナ笑ヒデアツタラウ ソシテ 泥炭デアルカ
 馬デアルカ 地面ニ掘ツクリ返サレルモノハ 君モシル ワヅカニ一点ノ黒イモノダ
 風ニハ沿海州ノ錆ビ蝕サル気配ガツヨク浸ミコンデ 
 野ツ原ノ涯ハ監獄ダ 歪ンダ屋根ノ 下ハ重ク 鉄柵ノ海ニホトンド何モ見エナイ
 絡ンデル薪ノヤウナ手ト サラニソノ下ノ顔ト 大キナ苦痛ノ割レ目デアツタ
 苦痛ニヤラレ ヤガテ霙トナル冷タイ風ニ晒サレテ
 アラユル地点カラ標的ニサレタオレダ
 アノ強暴ナ羽搏キ ソレガ最後ノ幻覚デアツタラウカ
 弾創ハスデニ弾創トシテ生キテユクノカ
 オレノ肉体ヲ塗抹スル ソレガ悪徳ノ展望デアツタカ
 アア 夢ノイツサイノ後退スル中ニ トホク烽火ノアガル 嬰児ノ天ニアガル
 タダヨフ無限ノ反抗ノ中ニ
 ソノ時オレハ歩イテヰタ
 ソノ時オレハ歯ヲ剥キダシテヰタ
 愛情ニカカルコトナク 彌漫スル怖ロシイ痴呆ノ底ニ
 オレノヤリキレナイ
 イツサイノ中ニ オレハ見タ
 悪シキ感傷トレイタン無頼ノ生活ヲ
 アゴヲシヤクルヒトリノ囚人 ソノオレヲ視ル嗤ヒヲ
 スベテ痩セタ肉体ノ影ニ潜ンデルモノ
 ツネニサビシイ悪ノ起源ニホカナラヌソレラヲ
  〈ドコカラモ離レテ荒涼タル北方ノ顔々 ウルトラマリンノスルドイ目付
   ウルトラマリンノ底ノ方ヘ——〉
 イカナル真理モ 風物モ ソノ他ナニガ近寄ルモノゾ
 今トナツテ オレハ堕チユク海ノ動静ヲ知ルノダ
                      (「青空文庫」にある『逸見猶吉詩集』から転載)

 さて、逸見猶吉とは何者か。本名は大野四郎。1907(明治40)年旧谷中村生まれ(一説では古河とも)、暁星中学から早稲田大学政治科に学ぶが、中学時代から詩作を開始して個人詩誌『鴉母』を創刊したり、大学在学中には神楽坂でバーを経営するなど、デカダンな生活を送る。草野心平主宰する詩誌『学校』に「ウルトラマリン」の連作を発表したのは23歳のときで、一挙に詩壇の注目を集め、さらに『新詩論』『歴程』などの創刊にも参加したのち、1937(昭和12)年渡満して満州生活必需品会社庶務課公報係、のちに警防係長として勤務し、現地徴集で関東軍報道隊員として北満に派遣もされる。敗戦後の46(昭和21)年、当時の新京(現長春)で結核・栄養失調により死亡。享年39。
 というのが、わたくしなりにあちこちから切り貼りした略年譜であります。旧谷中村合同慰霊碑とそのかたわらにある逸見猶吉墓碑とのつながりが、この略年譜から読み取れますね。しかし本名大野四郎というところに、わたくしならず誰もがやや不可解な感を受ける合同慰霊碑と猶吉墓碑との微妙な位置が関係してくるのであります。続きはまたあとで。
by fuefukin | 2010-03-09 11:22 | 文学散歩

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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