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若鮎跳ぶ?

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 ふだんは水量が少なくて、魚道ふうにこしらえてある段差も果たして魚の移動に役立っているのか疑問にも思われる多摩川支流平井川中流のとある堰堤。台風20号の雨で増水した昨日、この堰堤で盛んに溯上をこころみていたたくさんの小魚を見て、思わず若鮎かと思ってしまいましたが、そんなはずはありませんね。鮎はすでに下流に落ち、産卵も終わっているはずです。どうやら多くはオイカワのようです。あるいはウグイ、カワムツも混じっているかどうか。雨による増水で堰下の水深が増すために、こうしてジャンプが可能になるのですね。
 江戸文政年間のころの雪国越後の生活を描いて秀逸の『北越雪譜』は鈴木牧之という塩沢の質屋の主にして文人であった人の作品でありますが、『秋山記行』というわが国初のフィールドワークとでもいうべき紀行文も残しております。これは、現在の新潟県中魚沼郡津南町見玉から千曲川支流の中津川沿いに散在した見倉、大赤沢、結東、さらに遡って長野県下水内郡栄村となる小赤沢、屋敷、和山、切明温泉に至るあたりまでの集落を訪ねた記録で、わたくしも一再ならず訪ねたことがありますが、いまでは最奥まで舗装道路が走っているものの、平成の現代でも秘境の冠付きで語られる地域でありますね。中津川は苗場山と鳥甲山の間を南北に縫うように流れていて、源頭のひとつは野反湖というと分かりやすいでしょうか。『秋山記行』そのものについて解説しだすときりがないので、話の続きをしましょう。
『秋山記行』の終盤、帰り道の上結東あたりでのこと。こんな記述が見えます。
  中津川の水勢強く 纔に落る瀧壺ありて 其瀧下に藤を網にいたして幾つも掛置
  瀧の真上の水際ニ 相なる仮り橋を 岩上より此方の磐石のうへにかけ渡し
  小屋ハ巌を像り掛置き 瀧壺の鱒 瀧を上らんとして跳落ちさまに網の口へ這入ると
  即時ニ小屋より出 仮り橋のうへに 何れなりとも動く網を引 鱒取るとなん
  瀧ハ纔と云とも水勢強く鱒屡々瀧登りして網の口遁るゝもありと云
 鱒が上流に遡ろうと跳躍する滝壺で、跳躍に失敗し流れに押し戻されて落ちる魚をあらかじめ仕掛けておいた網ですくい取るという原始的な漁を観察し報告している箇所であります。網ですくい取るというより、流れに押し戻された魚が勝手に網に入るという苦労なしの漁でありますが、魚がどの場所でどう跳躍するかをじっくり観察し的確に推察できなければ成り立たない漁であります。ここで言う鱒は、おそらく現在のサクラマス(桜鱒)と思われますが、ダムはもとより人工的な堰堤などひとつもなかったであろう江戸時代とはいえ、はるか日本海から信濃川を遡り、千曲川から中津川のこのあたりまで遡上していたんですねえ。
 ついでにもうひとつ、琵琶湖西岸の安曇川あたりを取材で訪れた折りに垣間見た湖産の稚鮎を採る方法がこれとじつにそっくりだったことも思い出しました。さほど幅のない稚鮎の溯上河川で、木材などを使って人工的に20センチほどの落差を作り、上流側に木製の樋状の造作物を横断させて水を流す。ジャンプして落差を越えようとした稚鮎は、ジャンプに成功して上流へ向かうかわりに樋に飛び込み、流されてゆく先は網の中という仕掛けなのでありますね。こうして捕獲された湖産の稚鮎は全国の河川へ運ばれ、鮎釣りのために放流されてきました。その湖産の稚鮎に写真のオイカワやカワムツの稚魚が混じり、かつては西日本にしか生息していなかったこれらの魚が、いまでは東日本の各地にまで生息域が広がったというのは、考えてみれば皮肉な話でもあります。
by fuefukin | 2009-10-28 03:17 | ネイチャーフォト

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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