人気ブログランキング | 話題のタグを見る

街角のチェ 2

 続きは明日と書いておきながら、その明日が今日になってしまいました。
 首都圏はきのう、たいした雪にならずによかったというか、ちょっと肩すかしというか、もうちょっと降ってもよかったのになどと言っていると、雪の多い地方からは小言が聞こえてきそうです。

 さて、こちらはハバナの革命広場に面した内務省ビルの壁面にあるチェ・ゲバラの巨大なモニュメント。このモニュメントもそうですが、世界中に広まっているTシャツの絵柄やポスター、ポストカード、はては女性水着や下着まで、もとは1枚の同じ写真から加工されたもののようです。
街角のチェ 2_d0054076_14595662.jpg

街角のチェ 2_d0054076_1326212.jpg
 撮影者はキューバ人の報道カメラマン、アルベルト・コルダ。ハバナ湾で爆発炎上した武器運搬船ラ・クープレ号のテロで犠牲になった約100人もの死亡者の追悼集会が行なわれた1960年3月5日、演説のため壇上に上がってゆっくりと聴衆を見渡すゲバラを望遠レンズで切り取ったのが右の1枚。実際は2枚シャッターを切ったそうでありますが、最終的に編集段階で没になって新聞に掲載されずじまいだったこの写真をコルダは壁に貼っていたということであります。7年後、コルダのもとを訪れたイタリア人のジャーナリストがこれを気に入って貰って帰ったその年の10月7日、カストロに「訣別の手紙」送ってキューバを離れて以来、コンゴや中南米へ移動したのち、ボリビアでゲリラ闘争をしていたゲバラは、リオ・グランデの支流ユロ渓谷で野営中、ボリビア政府軍レンジャー部隊6個小隊の包囲攻撃をうけ逮捕された翌日、放り込まれていた小学校の教室でいともあっさりと銃弾を撃ち込まれ、処刑されてしまったのであります。ハバナの革命博物館には殺されたゲバラを検死するこんな写真が展示してありました。
街角のチェ 2_d0054076_1283175.jpg

 こうしてゲバラの死後、コルダの撮った写真はイタリアで最初ポスターとして出版され、やがてさまざまな形で世界中にゲバラの肖像が流布される端緒となったのでした。
 
 時間を戻しましょう。亡命先のメキシコシティーのインペリアル・アパートで運命的な出会いをしたカストロとゲバラは、1956年11月、8人乗りのプレジャーボート「グランマ号」にじつに82人の同志とともに乗り込んでメキシコを出発、キューバをめざしますが、この情報は事前に察知されていて、オリエンテ州(現グランマ州)の海岸に上陸したとたんバティスタ政府軍と戦闘になり、カストロ兄弟とゲバラを含む12人のほかは、この最初の戦闘で殺されるか逮捕されたのち処刑されるかしてしまうのでありますね。この「グランマ(おばあちゃん)号」というオンボロ小舟も革命博物館にガラス張りの建物で厳重に展示されています。
 さて生き残った12人は(真偽は定かではないもののたった12人!)、キューバ島東南部のシエラ・マエストラ山中に逃げ込んでゲリラ活動を始めるのであります。
街角のチェ 2_d0054076_17233398.jpg
 サンティアゴ・デ・クーバ近郊で撮影したシエラ・マエストラの一部。一番高い山が標高1980メートルのトゥルキノ山ですから、およそこんな写真のジャングルが続いているとみていいでしょう。
 2年余にわたって政府軍との激しい戦闘が繰り返され、最大でも1000人に満たなかったらしいゲリラ軍は、やがて多くの農民を引き入れ、いくつもあった反政府勢力を統合してサンティアゴを攻略し、サンタクララを陥落させ、首都ハバナへ進軍するのですね。このキューバ革命を象徴するシエラ・マエストラ山中のゲリラ戦については、カストロやゲバラを主人公とする本やたくさんの映画に描かれていますから細かくは触れませんが、小さな印刷所を作って宣伝ビラを印刷したり、粗末な通信機器でラジオ放送を始めるのです。1958年2月末、最初の電波は「このラジオ・レベルデは、ホセ・マルティを受け継ぐものたちが第二次独立戦争開始から63年になるこの日放送を開始する」と第一声を送り、まもなく「暴政に対する全面戦争に立ち上がれ」と全土へ4月ゼネストを呼びかけるのです。革命博物館に、その放送に実際に使われたものかどうか、ゲバラが使っていたと説明のある、現在から見たらそれこそおもちゃのような真空管式の小さな通信機械が保存されてあるのでした。
街角のチェ 2_d0054076_16101756.jpg

 各地で反政府勢力の勝利が相次いで政府軍の敗北が決定的となったその年の大晦日、バティスタはコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティーの席上で突如辞任演説をおこない、日付の変わった1959年の元日、3機の軍用機一杯に財産を詰め込んでドミニカへ亡命してしまうのです。すぐさま政府軍の将軍カンティーヨが「臨時政府」の成立を宣言するものの、カストロはこれを認めずハバナ突入を命じ、まもなくハバナは革命軍によって制圧され、3日にはゲバラが、8日にはカストロがハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定したのでありました。
 このときからまさに今年でちょうど50年、半世紀が流れました。
by fuefukin | 2009-01-10 14:59

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


by fuefukin
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31