稲荷山古墳の鉄剣
2008年 07月 31日
それから10年後、考古学会における世紀の発見という大ニュースが日本中を飛び交いました。発掘した鉄剣の保存修理のためX線調査をおこなったところ、そのうちの1本の鉄剣の錆び付いた両面から金象眼の銘文が浮かび上がったのでした。掘り出したまま10年もほうっておいた怠慢さはまあ横において、471年あるいは531年と推定される辛亥という年号と、雄略天皇とされる獲加多支鹵大王の名が銘文中にあることから、古代史の確実な証拠になるものとしてじつに貴重な発掘品となってすぐに重文、さほど間も置かずに国宝に指定されたのであります。
稲荷山古墳にはその後何度か寄ることがありましたが、周辺のいくつもの古墳をあわせてさきたま古墳群として徐々に整備され、いまはきれいな公園として生まれ変わっています。銘文発見のころにはもう故郷をはなれて東京で生活していたこともあって、以来、肝心の鉄剣を見る機会はないままでした。いつごろから一般公開されるようになったのか、それも知らなかったのですが、つい先日、所用で近くまで出かけたおり、約束の時刻まで時間が空いたので、古墳群のなかにある県立さきたま史跡の博物館に立ち寄り、初めてこの鉄剣に対面したのでありました。
Google Earth から古墳群ぜんたいをみるとこんな具合。赤で囲んだところが稲荷山古墳であります。地元では「埼玉古墳群—古代東アジア古墳文化の終着点— 」として世界遺産登録をめざして昨年から活動を始めたようです。世界遺産そのものには賛否もありますが、ここは素直に、時間はかかるでしょうがうまく登録指定され、故郷の貴重な風土、文物を世界中に誇れるようになればいいと願うものであります。みんなで応援しよう!