カトマンズの朝
2007年 02月 13日
アンナプルナ内院までトレッキングに出かけたのだが、その一年ほど前にパイクで接触事故に遇って左ひざを負傷し、入院生活を余儀なくされた。1ヵ月の入院だったからかなりの重傷だったことになる。2週間ほどでギプスが外れると、そんな短期間だったにもかかわらず、意外にも左右の太ももの太さがかなり違っていて、果たして元通りになって山歩きができるようになるのだろうかと、かなり心配になったことを覚えている。
結局それは杞憂に終わって、その年の冬にはなんとか雪の雲取山にも登ることができ、思い切ってネパールにも出かけることができたのである。
バンコックからカトマンズ空港に到着したのは夜の闇がすっかり落ちた時刻で、うすぐらい蛍光灯に照らされた、小さなターミナルが印象的だった。たしかビザも空港で取った記憶がある。形ばかりの通関が終わると、係員がザックに直接チョークで印をつけるのだった。
この何年かあと、大きな墜落事故が起きたのを機に、先進国の資金援助を得て立派な管制塔をもった近代的な空港に生まれ変わったが、あの闇に沈んだ薄汚れた感じの空港がわたくしには特別な風景となって記憶に残る。
翌朝、カトマンズ盆地は深い霧に包まれて、厳しい料金交渉の末、前夜客引きに案内されたゲストハウスも白い帳の中に沈んでいた。それでも陽が昇って気温が上がってくると、霧も徐々に晴れていく。共同の洗面所で歯を磨きながら薄れていく霧の向こうを眺めていると、突然のように霧の切れ目に雪をいただいた高山が、まるですぐそこに、手を延ばせば届くほどの距離にあるかのように見えてきたのだった。ガネッシュヒマラヤの勇姿だった。
現在のカトマンズ盆地は大気汚染がはげしく、市内からヒマラヤの山波をはっきりと眺められるのはよほど好天の日にしか望めなくなっているようである。
市内をめぐると、大小のヒンズー寺院が辻々にあり、花を捧げ灯明をともして祈る人々の姿が絶え間ない。じつにカトマンズは祈りの町でもあったのである。
いちばん上の写真は王宮近くの朝の風景。
カーラバイラブは破壊と創造の神シバの化身。この前で嘘をつくとただちに死に至るそうである。