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バルカンへの旅 26. 古都ツェティニェ

 モンテネグロの現在の首都はポドゴリツァですが、かつてモンテネグロ王国のころはロブチェン山東麓のツェティニェが中心でありました。日本で言えば奈良京都のような古き都です。コトルからこの旧都を訪ねます。バスで1時間半ほど、海岸線を離れて内陸へ入り、標高が上がっていくとあいにくの小雨まじりの霧で、展望もなにもあったものではありません。
 ペタル二世ペトロビッチ=ニェゴシュが叔父のペタル一世の死去をうけてモンテネグロの聖俗界を統治する地位、主教にして君主の座に就いたのは1830年、ニェゴシュ18歳の時でありました。のちに政庁舎と居館として建設されたビリヤルダと呼ばれた建物は、現在ニェゴシュ博物館として公開されています。
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 館の名前の由来となったトリエステから運んできたというビリヤード台はじめ、執務した机や椅子、肖像画、代表作の叙事詩『山の花環』ほかの著書など、たくさんの遺品がいくつもの部屋に展示されています。
 このビリヤルダの裏手にツェティニェ修道院が静かにたたずんでいます。
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 修道院の中の礼拝堂には、キリスト磔刑の十字架の木片と洗礼者ヨハネの肘の骨というのが納められています。上の写真の右手奥の赤い布がかけられた箱の中であります。
 以前アルメニア正教の総本山エチミジアンで十字架にかけられたイエスの脇腹を突いたロンギヌスの槍というのも見たことがありますが、信仰とは信じたっとぶことでありますから、異教徒がとやかく言うことではありませんね。
 修道院の食堂で昼食を頂戴しました。豆のスープにはじまりリゾット、果物、デザートまで、修道院で食事など初めての経験でしたが、自家製のワインもいただき、修道院とは思えないほどの食事でありました。
 前庭で修道院長とともに記念写真におさまり、お礼を申し上げて辞しました。
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 コトルへの帰途、ちょっと寄り道。島全体がひとつのホテルというスヴェティ・ステファン。何十軒もあるもともとの居住者の建物を壊さずに改装し、教会や路地、立ち木などもそのままに、ホテルとしての部屋にしつららえてあるとのこと。部屋数は100以上もあり、スイートもあるとのこと。お値段は少々高めのようであります。入口に一本の橋がかかっているだけで、あとは海に囲まれているので、世界の有名人がプライベートな休暇でやってくるとのこと。遠望しただけですが、一度くらいは泊まってみたいものでありますな。
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by fuefukin | 2007-01-24 01:28 | バルカンへの旅(2)

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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