バルカンへの旅 12. ヴィシェグラードへの道 続
2006年 11月 29日
第二次世界大戦中ナチスドイツの占領下にあって、唯一独立を保っていたのがこの町を中心とした地域で、チトー率いるパルチザンの本部がこの町に置かれていたこともあったそうであります。
なるほど、周囲はむき出しの石灰岩質の急斜面の岩山が連続し、町の外れの岩山の高台には中世にドブロヴニクが建設したという砦も見えますから、このようなボスニアからモンテネグロに続く峻険な山岳地帯でのゲリラ戦にはドイツ軍もずいぶん悩まされたでありましょう。結局チトーはボスニアに敗走し、さらには負傷して北に逃げざるを得なくなりますが、イタリアの降伏を契機に盛りかえしたパルチザンは、ロンドンのユーゴスラビア亡命政権とチトー政権を合併させるというチャーチルの協力を後ろ楯に勝利をおさめることになったのは歴史が語るところであります。
さて、ウジツェからさらに高度をあげて峠に差しかかります。この峠では長い間鉄道建設が行われていて、標高差300メートルのふたつの山を乗り越えるのに、陸橋やトンネルを使って8の字を描くように線路が敷設されているので、この場所はシャルガン・エイトと呼ばれているそうであります。途中のヤドリツァ駅はヨーロッパで唯一、乗車券が一枚も発行されていない駅で有名だということでありますが、まあこれは完成していないので当たり前でありまして、セルビア人の得意なジョークの一種でありましょうか。
カンヌでパルム・ドールに4度ノミネートされ2度受章したエミール・クストリツァ監督は「パパは出張中!」「ジプシーのとき」「アンダーグラウンド」などの映画でたいへん高名でありますが、2004年の最新作「ライフ・イズ・ミラクル」の撮影をこのあたりで行ないました。
映画の冒頭、失恋して涙を流しながら鉄道自殺をはかるロバ、汽車は来ないから自殺なんてできないよとロバに話しかける郵便配達夫、トロッコで疾走する楽団、駅舎の祝出征パーティー、みんなこの工事中の狭軌の鉄道を使って撮影されました。
クストリツァは撮影の拠点にした近くの村に大きな家を建て、映画人のためのアカデミーを開設したそうであります。その村も通りましたが、先を急いでいたこともあって、バスをとめて立ち寄ることはできませんでした。ちょっと残念なことのひとつになりました。
ここからほんのしばらくでボスニア国境であります。映画「ライフ・イズ・ミラクル」は1992年のボスニア戦争の時のこの地が舞台で、セルビア人の鉄道技師ルカとボスニア人の看護婦ザハーバのカップル、当時は敵対国同士のカップルが駆け落ちをはかり、トロッコでトンネルを抜けた瞬間、まばゆい光とともに終わります。さてこれがどんな未来をあらわしているのか、どうぞエネルギッシュではちゃめちゃなこの映画をご覧になって想像してみて下さい。
次回はようやく国境を越えてドリナ川の流れる岸辺へ降りられそうです。ノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの描いたドリナの橋のたたずまいははたしてどんなふうになっているのでしょうか。お楽しみに。
by fuefukin
| 2006-11-29 13:25
| バルカンへの旅(2)