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氷点下のアート 続

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  切なき思ひぞ知る   室生犀星

 我は張りつめたる氷を愛す
 斯る切なき思ひを愛す
 我はそれらの輝けるを見たり
 斯る花にあらざる花を愛す
 我は氷の奥にあるものに同感す
 我はつねに狭小なる人生に住めり
 その人生の荒涼の中に呻吟せり
 さればこそ張りつめたる氷を愛す

 1889年(明治22)加賀藩の足軽頭だった小畠という家に生まれた妾腹の子は、生後間もなく近くの雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として照道の名で戸籍に入れられ、住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであった。叡智な子であったため念仏や説教の覚えもよかったが、高等小学校を中退して金沢地方裁判所に給仕として就職したころから句作をはじめ、やがて短歌、詩を書くようになった。犀川の西側に生まれ育ったことから犀星と号し、裁判所勤めを辞めて地方新聞社などへの就職離職、困窮して上京帰郷を幾度かくり返すうち、北原白秋の知遇を得て萩原朔太郎や山村暮鳥らと親交を結ぶようになる。詩誌を刊行し自費出版で詩集をまとめたりしながら小説「幼年時代」で作家としての地歩をようやく固めたのは30歳のときだった。以降はベストセラー作家の仲間入りをして、軽井沢で夏の別荘生活も送れるようになったのは周知のとおり。
 国語教科書にも載った有名な「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」という詩「小景異情」所載の詩集『抒情小曲集』をまとめたのは29歳で、上掲の「切なき思ひぞ知る」と題された詩は詩集『鶴』(昭3)巻頭所載だが、いつごろの作品だろうか。狭小で荒涼な張りつめた氷のような自分の人生だが、だからこそそんな人生が好きなのさと、いくぶんうつむいて吃りながらも真摯につぶやく犀星の横顔が見えるようでもある。軽井沢にこの詩を刻んだ文学碑を自費で建てたのは死の3年前、野間文芸賞の賞金の一部を充てた。詩の出来を自負していたこともあろうが、うたわれた内面のイメージは犀星に終世まとわりついて離れなかった人生観でもあったろう。8歳年長の會津八一と同じ8月1日生まれの犀星の句に、こんなのもある。

 夏の日の匹婦の腹に生まれけり

 生母を生涯知らずに育ちながら、匹婦と言い切るのもまた哀しい。
 昨朝撮影した張りつめた氷の写真をもう一枚ご覧いただいて本日はお仕舞い。
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by fuefukin | 2012-01-13 09:54 | ネイチャーフォト

日常の延長に旅があるなら、旅の延長は日常にある。ゆえに今日という日は常に旅の第一歩である。書籍編集者@福生が贈る国内外の旅と日常、世界の音楽と楽器のあれやこれや。


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