世間は数なきものか
2010年 05月 11日
世間(よのなか)は数(かず)なきものか
春花の散りの乱(まが)ひに死ぬべき思へば
万葉集巻十七、大伴家持の歌。
春の花が散り乱れる中で死んで行くことを思えば、この世の中などさしてとるに足らぬことであるなあ、といったような謂でしょう。花の下にて春死なん、という西行さんの歌のほうが巷間よく誦されていますが、生年だけ比べてみても家持さんのほうが400年も昔の人であります。西行さんもおそらく家持さんのこの歌を意識していたのではないかと想像されますが、家持さんが一般論的な感傷、無常観を詠んだのに対して、西行さんは一歩も二歩も踏み込んで自らが主人公になって主張していますねえ。
4世紀を隔てた日本人の自意識の変化がここに見て取れますが、西行さんからさらに800年、現代のわたくしたちの生死観はどんなふうになっているでしょうか。
写真は昨日(10日)西多摩の一角で撮影したばかりのもの。レンゲのように散り敷いているのは八重桜(たぶん関山)の花びらであります。4月に幾度かやってきた冷え込みのせいで開花がやや遅れ、さらに長もちしていた花がいっぺんに散ったものと思われます。夕刻の傾いた日の中でなにやら妖しい雰囲気が漂っていました。